僕の中でとても印象に残っている旗。
先日行われたフィギュア四大陸選手権をテレビで見ていたときのことです。
スケートをリードしてきた、ベテランの村主章枝さんの演技が終わった後、カメラに映し出された、村主章枝を応援する団体が掲げた『村主章枝』と大きく書かれた応援旗です。
村主章枝は、体の不調を悩みながらも、そして、今もまだ戦い続けている。
そんな村主章枝さんを、大きな旗で大きく応援する応援団を見て、感動しました。
村主章枝さんは、応援する人達がいる以上、これからも、限界がくるまでスケートと戦い続けるはずです。
スケートのベテランを言われ、年齢的にも体力の限界を感じつつあるかもしれないという状況で、あれだけの演技を見せてくれたのだから、僕もこれからも応援していきたいと思います。
応援の旗は、スケートリンクで舞う、村主章枝の目にも確実に入っていたはずです。
校旗は学校のシンボルですよね
みると気持ちがシャンとするというか
改まった気持ちになります
子が私の母校に通っているのですが
最近の父兄会の折
校長室に校旗が飾ってあるのが
ちらりと見えました
様子からして私が子どもの頃の物を
ずっと引き継いで使っていると思われます
懐かしさと嬉しさがいっぺんに湧いてきました
校旗の重みを感じた瞬間でした
旗の下に人が集まるということがありますが
やはりその団体を表すシンボルですよね
子が母校に通ってくれていることを誇りに思うのでありました
イーゼルの販売の専門店、イーゼル工場は格安です。
印象に残る旗といえば・・
学生のころ、部活で大会に出たとき。
友達が内緒で作っていてくれた旗でしょうか。
ステージから見ると、ど〜〜んと、学校名、名前の入った旗^^;
笑いながら手を振ってる友達を見て、
「なにやってんの〜〜^^;」と思いつつ。
でも、すご〜く嬉しかったのを覚えています。
ぱっと見たときに、目立つ、イヤでも目に入るっていうのが旗のすごいとこですよね♪
シンボルとしてもよく使われるっていうのも納得できます。
小さい旗はカワイイし、大きな旗は、なんていうか迫力があります♪
遠くからでも、声を使わなくても、
自分の気持ちが相手に伝わるっていうのは、いいですよね♪
アポロ11号が月面着陸をした際にアメリカ国旗を立てた映像は有名ですね。いろいろ疑惑があり,月面には空気がないのに,「旗(国旗)」がはためいているのはおかしいという。他にもいろいろあり,あの映像はハリウッド製作なんて言われている。
最近,日本の月周回衛星「かぐや」はNHKのハイビジョンカメラを搭載していて月の鮮明映像を送ってきている。このカメラでアポロ11号が月面に残してきた 「旗(国旗)」を撮影してくれないかと思っている人も多いと思う。どうなんだろう,あるのか,ないのか?
新しい住宅が次々と建てられ、昔からの地域の共同体意識もずいぶんと薄くなってきました。
以前は自治会組織がしっかりと機能していましたし、ほとんどのひとが顔見知りという状態でした。
でも今では知らない人のほうが多いのではないでしょうか?
でも秋になると、しっかりと豊作を祝う祭りが行われます。
秋のほかは祭りの小屋入れられているのですが、地域ごとにそれぞれの旗、法被があります。
旗が本部に上がり、法被を着た人たちが集まりだすと、いつもの淡白な人間関係がどこかへいってしまい、地域で暮らしているという意識が芽生えるから不思議ですね。
「旗」と言えば国旗がまず思い浮かぶ。国旗が活躍するのはやっぱりオリンピック。優勝した選手が国旗を羽織ってトラックを走る姿をよく見ることがある。また,表彰式のとき,金銀銅を獲得した選手の国旗が掲揚される。こんなとき,やはり自国の国旗を見てうれしいと感じる。
日本では昔は祝日や祭日には国旗を家の前に掲げたりしていたが,最近は少なくなったような気がする。他国とは違って,日本人にとっての自国の国旗に対する考え方は少し複雑のようだ。
あんまり一般的な経験じゃないとは思うけれど・・・
わたしにとって、一番印象に残る「旗」は。
「自衛艦旗」だったりする。
海上自衛官の人たちは、毎朝毎朝、「らっぱ君が代」にあわせて、太陽のように燦燦と輝きながらはためく旗に敬礼するわけだよ。
自衛艦旗を艦尾にはためかせて波をかきわけてゆく護衛艦って、文句なしにカッコイイ。
それから、よその国の港に入港・出港するとき。その国の海軍の艦にはやっぱり国旗や軍旗がはためいている。
見比べるとやっぱり、自衛艦旗、ひいては日本の国旗がイチバンだと思う。
いろいろと異論はあるけど、あの国旗のデザインっていいセンいってると思う。
・・・なんて言うと、ちょっとアブない人って思われてしまうかな〜〜という計算が働いて、身近な人にはなかなか言えないけれど。
旗、と言われると、運動会、大会、オリンピック…様々な場面で見ることが多い。
正直、私は運動会程度の旗ではあまり感動を覚えたことはないが、オリンピックの旗を見ると、とても感動することがあるのだ。
何故であるかというと、運動会は、学校行事の一環として、毎年行われるもので、半ば義務みたいなものに感じられ、さらに自分が望んだ種目に出場できず、あまり出たくない種目に出場することになるなど、モチベーションの維持も難しい場面があるため、正直、感動を覚えるかと言われればそうではない。
だが、これがオリンピックや大会となればどうか。必ずしも全員が出られるわけではなく、選ばれた選手が最高の演技を見せる舞台。当然、選手は最高のモチベーションで望んでいるはずだし、たとえ選手として出られなくても、応援団として自分の国の旗を振る姿には、より力が入っているように見えるはずである
それにより、選手たちにもいい相乗効果が生まれ、感動を人々に与える効果があるのだ。
4年に一度のオリンピック。自分には関係なくても、普段はどうでもいいと思っているような種目でも、自分の国の選手が頑張っている姿を見れば、ぜひいい結果を期待したいとテレビの前に釘付けになってしまう光景。
さらに、カメラが応援席に向けられると、選手以上に必死に旗を振ったり踊ったりして応援する応援団。
これぞ、いろいろな想いがつまっている結晶ではないだろうか、と私は思った。
私の中で旗のことで一番思い出に残っているのは、高校生時代に仲間と一緒に作った運動会用の応援旗です。
応援旗は、伝統的に、縦クラス(1年1組、2年1組、3年1組など)で1枚の応援旗を作るのですが、当然、3年生がリードします。私は3年生のとき、この旗作成のリーダーを任されました。
1ヶ月ぐらい前から構想に取り掛かり、2週間ぐらい前から実際の作成に入ります。
ところが、わがクラスは、なかなか構想がまとまらず、私もリーダーとして頭を悩ませる日々が続きました。とくにサブリーダーをしていた人と意見が合わず、他のクラスメイトに相談しても、自分達で解決しろという感じで苦しかったです。
ようやくその彼とも折り合いがつき、実際の作成に取り掛かったのは1週間前でした。
他のクラスが完成しても、こちらはなかなか進まず、3日ぐらいまえからは、家に帰るのが深夜になりました。今から考えると、よく学校もそんな夜遅くまででもやらしてくれたんだなあと感心します。
そして、出来上がったときの感動。今も忘れられません。当然、どのクラスの旗より、断然光って見えました。
その夜の打ち上げファイヤーで燃やしてしまうのですが、泣けて泣けて仕方がありませんでした。
我が家で「旗」といえば、2才になったばかりの娘のご飯の上に立っているものです。
そう、お子様ランチのライスの上にある、あれです。
なにしろご飯をあまり食べてくれない娘に、あの手この手で対策を打つものの、
たかが2才、されど2才、なかなか手強くて、いつも用意した半分程度の量で「ごちそうさま〜」・・・またか。
そんなある日、テレビに映ったお子様ランチの映像に「おいしそうね!」と興味シンシン。
じゃあ、おうちでお子様ランチだ!と、プレートの上にちょこまかおかずを乗せて、
丸く盛ったご飯の上に手作りのアンパンマンの旗を指して出したところ、これが想像以上に大ヒット!手を叩いて大喜び!
うんうん、こんなに喜んでくれるのなら全部食べくれなくてもうれしい〜なんて思っていたら、
マイペースではあるけれどきれいにぺロリと完食。
内容はいつもと変わらない食事だったので、これはお子様ランチ効果以外の何物でもない!
それ以来、ご飯のときは必ず小さな旗を立ててあげるようにしています。
おかげで小食だった娘も楽しくいっぱい食べてくれるようになりました。
その喜ぶ顔を見たくて、ヒマがあるときに小さな旗をせっせと作る私。
クマさんやらウサギさんやらキャラクターやら、すっかり絵が上手になったのはいうまでも
ありません。
旗の思い出といえば、大学時代の応援団の旗が印象的です。
自分の大学のサークルは、ひとつのところにまとまっているんですけど
応援団の部室がすぐ近くにあったりして、旗をよく持ち出していました。
やっぱり旗を持って、振ったりする練習をしてたんでしょうね。
応援団にとって旗は命みたいなものですから、
かなり大事そうに扱っていたのを、今でも覚えていますね。
そして、実際に大学のスポーツ観戦に出向いたときも
応援団たちが、大きな旗を持って振っている姿を見て
応援する側も、かなり熱が入って応援してしまいました。
旗っていうのは、母校のシンボルでもあるので感動しますね。
もちろん実際に競技をしている選手も、よけいに頑張れる気がしますね。

私は運動が苦手でした。
小柄で不器用で、
いつも怒られていました。
特に足が遅く、徒競走など、
散々な成績でした。
走り終わった後は、
それぞれの順位が書かれた旗の後ろに並ぶのですが、
1と書かれた旗の後ろに並びたいと、
いつもうらやましく思っていたものです。
でも、6年生になったころ、
身長ものび、
ちょっと徒競争の記録がのびたんです。
もしかしてって思って、
一生懸命に練習しました。
そして、最後の運動会の日、
私は徒競走に出場し、
今までで最高の気分で
運動場をかけました。
無我夢中で走って、
ゴールで息を切らしていたところ、
先生が旗の後ろに並ぶよう促しました。
順位をはっきり見ていなくて、
とまどう私に、
先生は
「1の旗の後ろだよ、おめでとう」
って言ってくれたんです。
あのぱたぱたはためいている
白くて1と書かれた旗、
私は今でもはっきりと覚えています。
この先も絶対に忘れないと思います。
旗、といえば、まず国旗が思いつくかもしれません。
小学校や中学校の運動会でなぜか、各国の旗がグラウンドに張り巡らされたのは不思議でしたね。(笑)
でもそれと同時に思い出すのは、運動会や体育祭で作った学級旗ですね。各クラスのテーマとして、大きな布で旗を作るんです。
自分たちでデザインして、自分たちでペンキ塗って作るんです。
私は、これの担当になって、ちょうど歌舞伎をイメージさせるデザインをして、最優秀賞を受賞したことがあります。
なにより、クラス一丸となってなにかを達成するときの喜びは非常に爽快なものがありました。
青春としうものはなぜあんなに輝いているのでしょうか?ああ、できれば、あの時期にもどりたい、もしもどれたら今度はもっと悔いなくもっと自分を輝かすことができるのに!
旗といわれて思い出すのが
応援旗でしょうか
高校時代わたしの高校には応援団がなかったんです
毎年、私たちの隣の高校と定期戦がありました
この定期戦ではリレーや綱引き、玉いれなどの種目と
運動系部活の交流戦を行っていました
この定期戦には大きな目玉がありました
それが応援合戦だったんです
先ほど書いたとおり、私の高校には応援団がなく
もちろん応援旗も存在しませんでした
この定期戦の時期になると
臨時応援団が結成され、応援旗も手作りで作られるのが
私の高校の伝統でした
相手の高校には応援団があるので応援旗もとても立派なもの
なのですが、私の高校は手作りなので
それに対抗できるような立派なものはつくれません
なので、私の高校は全体的にうけ狙いの応援団
となるのでした
もちろん応援旗もうけ狙いで、その年のうけた芸人などを
モチーフにしたり、しょうもないギャグにしてみたり
なかなかユニークなものが多かったです
旗で思い出すのは小学校の運動会で最後の締めとして優勝のチームに渡される優勝旗を思い浮かべます。
小学校の頃は運動が苦手でした。これは今もですが、優勝旗が渡されるシーンは感動しました。勝ち負けにかかわらず一生懸命やれたこととこれでようやく終わる開放感からその瞬間は気持ちがいいです。
競技ではあまり活躍できない私なので一度でもいいから優勝旗を持ってみたいという気持ちが出てきます。それは結局実現はしませんでした。
優勝旗は優勝したチームに渡されるものですが、お互いの健闘をたたえる意味があると思います。
日本人は、国旗に対する誇りが希薄だと思います。
第二次世界大戦の印象なのでしょうが、日の丸という国旗に誇りを持っていないように感じます。
すべてを軍国主義の復活のように考えるのは間違いではないでしょうか?
君が代にしろ、日の丸にしろ、日本国民として、もっと誇りを持って欲しいと思います。
スポーツの大会で、国歌を聞き、日の丸の旗を見ると、心が奮い立つのは、僕だけではないでしょう。
日の丸は、日本の旗なのだから、もっと誇りを持って、掲揚すべきではないでしょうか?
変な思想に導かれないように、それを各自が反省と自覚を持って行く方が大切ではないでしょうか?
日本の国旗、日の丸の旗を、スポーツの大会等で見るたびに、そう思います。
旗は国旗から応援に使うものまでさまざまですが、日本の国旗の日の丸が青空に靡いているのはかなり絵になり、ずっと見ていたこともあります。
大漁旗など派手なものも好きですが、一色だけで何も描いてないものなどいろいろあります。印象に残っている旗は、最近ドラマで見た風林火山の旗ですが、青地に孫子の四行詩が書かれているものや、武田菱のものなど旗見ているだけでもテンションが上がります。旗は図案で自己主張したり、メッセージを書いたりも出来るので便利だと思います。
印象に残った旗といえばJリーグ浦和レッズの赤い旗ですね。
実際にスタジアムに見に行ったことがあるんですが
あの赤い色が魂を揺さぶる何かを感じましたね。
赤い色というのは、そういう興奮作用などがあるみたいで
ついつい熱が入って、応援してしまったことを覚えています。
浦和レッズのサポーターも熱い人が多くて
どこにいってもレッズ一色って感じでしたね。
そこにはあの赤い旗が、いつも棚引いていて燃えますね。
とにかく巨大な旗なので、手で持って振っている人は大変です。
よく、あんなに大きな旗が振れるのかと感心しちゃいますね。
でも、いくつもの赤い旗が振れている様は圧巻ですよ。
最近は日本の旗を祝日に門のところにたてる方はいますか?
私が嫁いだ家はいまだにお正月の元旦から始まり祝日には必ず日本の旗をたてています。
確かに実家も私が小さかった頃はたてていましたがいつのころかしなくなりました。
でも、嫁いだ家は必ずたてています。
はじめは今時と思いましたが10年もたつとあたりまえに思えてきて
かつそのことが日本の伝統文化のひとつでもあるかのように
思えて心地よささえ覚えます。
真っ白い旗の真ん中に真っ赤な赤い丸。すがすがしく凛々しく思え
もっとみんなの家でも旗をたてればいいのにとさえ思えてきました。
不思議ですね。
風になびく旗はとても美しいものですよ。
旗の思い出といえば、保育園のときの運動会の旗ひろいです。とにかく、初めての体験で、どうすればよいのかさっぱりわからなくて、ただ、走って、親と一緒に旗を拾ったことを覚えています。たしか小さな旗で、手作りでした。模様な星などが書いてあったり、日の丸もあったような気がします。その旗は拾ったものをもらえるので、嬉しかったことを覚えています。たぶん、一人ではとても拾えなかったし、走れなかったと思います。とても懐かしい思い出です。
中学高校と一貫教育工に通っていた私は、母校が甲子園の地区予選に出るときは、結構応援しに行った。母校には、応援団はなかったのだが、選手登録されなかった野球部の部員が中心になって、応援をしたいた。
学校の応援旗というのは、なかなか見る機会があまりなかったが、この甲子園の地区予選のときは、毎試合この応援旗が振られていた。私は、あい更新は結構強いほうだったので、その応援気が降られているのを見て、母校を応援する気持ちがより強くなったのを覚えている。
残念ながら、私が在学中はわが母校は甲子園に行くことはなかったが、卒業後は何回か甲子園に出場し優勝もした強豪校なのだ。
是非、あの応援旗と共に私も在学中に甲子園に行きたかったなぁ〜と今しみじみ思う。
今でも、母校の応援は欠かさない、といっても応援しに行くことはないので、心の中であの応援機を振りながら、インターネットや新聞で速報を見ている。
高校生のとき、野球部のマネージャーをしていました。
全国大会予選には、必ず学校名が書いてある
旗を持っていき、応援します。
わが高の旗には『燃えよ ○△高校』と書かれてありました。
なんで、『燃えろ』じゃなくて
『燃えよ』なんだろうね〜って
先輩とかと話していました。
一応伝統ある旗でしたが、なんと保管はゴミ袋。
そのおかげで、
雨降りの試合の後
誰かが、ゴミと間違って捨ててしまいました。
いつか、甲子園にいくことがあれば
OB・OGで、作らないといけないな〜って思ってます。

旗がたなびく風景というと、小学校時分の秋の大運動会を思い出す。
アメリカ、イギリス、エジプト、オランダ、カナダ、そして日本。という具合に会場には、世界の国々の旗が、風にたなびいていた。
運動会前、授業で、好きな国の旗ではなく、気に入ったデザインの旗を作ったこともあった。
色合い的に、イタリアとフランスの旗がボクのお気に入り。
運動会の時、各自それを持参。応援に使った。
小学校時代のとても良い思い出だ。
別に旗を振って何かを主張するわけでもないのだが、お手製のお気に入りの旗は、しばらくボクの勉強机の前に飾ってあった。
それが原因かどうかは不明だが、今でもイタリアとフランスの料理や映画が大好きだ。
私が最近見た旗は、昨日車を運転していたときに見た、お弁当屋さんの旗です。
美味しいお弁当、安くて上手いお弁当、ほっかほっかのお弁当など、たくさん店の前に旗が立っていました。
そして、思わずお店に入ってしまった私です。
全然、お弁当を買う予定はありませんでしたが、そういった魅力的な言葉が書いてある旗を見ると、感情が行動を決めてしまいます。
実際、美味しいお弁当でしたが、まあ普通のお弁当でした。
きっとその道路を通るときはまた、買ってしまうでしょう。
旗の思い出は、以前アルバイトをしていた喫茶店で、世界の国旗を飾ったことがありました。世界の子供たちとのふれあいのためのイベントを行ったときです。
そのときは、その活動に参加している団体の関係の国から、子供たちとその親を招待して貸切のパーティを行いました。
いつもの喫茶店とは全く別世界のようなにぎやかな雰囲気で、世界の国旗の旗の布を紐で天井からつるしたり、とてもおおがかりなものでした。
旗はそれぞれの国の色鮮やかな模様のものばかりで、楽しいひとときの思い出です。
小学生の頃の昔の思い出なんだけど、私の通う小学校では毎年「クラスマッチ」が秋にあったの。子ども達の部とお母さん達の部。
で、その時いつも決まって作成したのがクラス毎の応援用の旗。
放課後の教室でクラスの代表10人くらいであれこれと案を練って作成する。これが物凄く楽しくて、夕方遅くなるまで頑張って作っていたのを覚えている。
今思えば「プチ部活動」のようだったのかもしれない。
クラスマッチ当日も、苦労しながら、楽しみながら作成した旗を持って応援する、これがまたとっても楽しかった。自分のクラスが勝ち進むとまた更に大盛り上がりで。
「旗を作る」といった活動自体が団結心を向上させてくれるし、それにクラスマッチが加わって毎年、運動会よりも楽しみにしてた企画だった用に思う。
こういうことって「机上の学習」よりも大切だったりするんだよね。
中学時代、新学期が始まると同時に、クラス目標を立てます。
「夢」「努力」・・・など、一年間のキーワードともなる言葉なのですが、同時に、その言葉をクラス旗として取り入れるんです。
大きな旗の真ん中に言葉を入れ、思い思いのイラストなんかを飾ります。
作り終わると、クラスのシンボル的存在となる旗は、普段はクラスの教室に飾られています。
そして、球技大会や体育祭の際には、このクラスごとの旗を振りながら応援をしたりするわけです。
3学期にもなると、汚れなども目立ってくるけれど、それはそれで思い出がいっぱい染み付いた・・・という事でよし!!
こういった旗、学校などで、どんどん作ってもらいたいですね。
私にとってもっとも印象に残っている旗は、高校の応援旗です。高校生のときは、部活動に打ち込んでいたので、試合などがあるたびにその応援旗が登場して、場を盛り上げてくれたことが強く印象に残っているのです。応援部という組織があって、彼らが中心になって応援活動をするのですが、旗を持つ人はずっとその旗を持ち続けているんです。一度持たせてもらったことがありますが、あの旗は、なかなか重量もあって、ずっと持ち続けるのは相当たいへんなんですよね。しかし、遠くからでも目立つ旗の存在があってこその応援活動なので、その象徴として中心にある旗については、いまでも目に焼き付いているというような感じがするのです。
小学生時代、学校に通う途中でいつも目に止まる旗が有りました。
その旗は交通安全協会の旗でした。
旗の中には『飲んだら乗るな、乗るなら飲むな!』と言った飲酒運転に呼びかける内容でした。小学生ながらにいつも親に口癖の様に言っていたのを思い出します。
その他、運動会でいつも使われていた世界の国旗は好きでした。運動会の前の日になるとPTAの方達が集まり、掲げてくれて、その旗を見ると運動会の気分になりワクワクするものでした。
つい先日、頭のトレーニングでアメリカの国旗を塗り絵するという
問題にぶつかりました。何も考えてない時は意外とすらすらと出て
くるのに考えれば考えるほど旗のボーダーの色や星の色が思い出せ
ず、たかが塗り絵に四苦八苦。できるだけ調べないで、ふと発見し
たり、テレビの画面で気がついたりがテーマなので未だ未解決なの
です。気になって何をするにも旗の事が頭から離れず掃除機をかけ
ながらも「星条旗よ永遠に」のメロディーをいつの間にか口ずさん
でいる始末。オリンピックが始まれば「あっ、そうだ!」と思い出
すのでしょうね。でも、その時はもう旗の件を忘れていたなんて、
いろんな事が頭をハタハタと駆け巡ります。

それと数日の違いで行われる各地の消防団始式
団旗を筆頭に各分団旗が入場するシーンはその行進曲とあいまって
感極まるものがあり、今年も一年間地元住民の生命と財産を守るという
使命感が湧いてきます。
それにしても少なくなった団員、この旗のもとに大勢集まってください。
「我が身は自分で守る」という意識の上で、活躍しようではありませんか。
自分だけはという意識を忘れ、この旗のもとに集まれ!!
若い人の入団を期待しています。
初めてサッカー日本代表の試合を見に行った時の話です。
試合は一進一退の攻防。0-0のままハーフタイムに突入しました。
応援で熱くなった心と体を休めていた時、急に目の前が暗くなりました。
一体何事が起こったのかと驚きましたが、よく見てみると日の丸が透けて見えました。
これがビックフラッグかと感激した一瞬です。
そういえば入場前に応援メッセージ書いたっけと思いながら、必死でフラッグに触りまくりました。
今まではTVでしか見た事が在りませんでしたが、実際に手で触れる事により、ようやく自分もサポーターに成ったなぁと思った出来事です。
旗のイメージと言えばなんとなく学校ではないでしょうか。私が思い出すのは、やはり学生の頃で、なんと言っても学園祭です。
応援の時に見た色とりどりの大きな旗も印象に残っていますが、体育祭で旗を使った演技をしたことがあるのです。その旗は青と白の一人2枚ずつあり、それぞれ自分で作った物でした。作ると言っても、旗ですから作り方も簡単な物でしたが、シンプルなだけに統一感があり、グランドでは映えたと思います。観てくれた人もきれいだったと言ってくれました。振った時のすがすがしい音を今でも思い出します。
私が通った高校では、援団の際に、応援旗を作成します。
衣装とともに、得意分野でみんながかかわる・・と言うものです。
かれこれ20年以上前になるので、画像として残ってはいませんが、今でも夜中までかかって作成した衣装や応援旗のことはよく覚えています。
その当時流行ったイラストやアニメなど・・・もしくは絵の上手な人が考えたオリジナルの旗。
ずーっと続いた行事でしたが、今年度限りで、統合して私の母校はなくなってしまいます。
統合先の学校でも同じようなことはしていますが、規模の違いがあります。
思い出に残る旗・・・それは、青春時代の1シーンです。
最近、気付いたこと。町中になんと旗の多いことか。特に飲食店街は数え切れないほどの数の旗がありますね。メニューの旗やキャンペーンの旗、様々です。
で、風で揺れるからどうしてもそこに目が行きますよね。わたしの記憶に新しいのは、お店の看板は無くて、大きな旗だけ。「魚」って書いて丸で囲んでるだけのシンプルな物。
お店は居酒屋風だったので、「なるほど、このお店の売りは新鮮な魚を使った料理なんだろうな」とすぐにわかりました。
お店のこだわりを長々と書いて店頭に掲示するよりも、とてもインパクトのある方法だと思いました。
私が小学校の頃 軟式野球をやっていてユニフォームと旗を作ることになり みんなで2ヶ月くらい旗のデザインを考えたことを思い出します。
私は野球が下手で補欠でしたが何か役に立ちたくて 「カッコよくて目立つ」 旗を考えました。 旗のマークをユニフォームにも入れることになっていたのでアイデアを出し合い みんなの投票で決めることになっていました。
野球チームの名前が リトルイーグルス だったので 羽ばたくイーグル をイメージしてイラストを何回も描き一番気に入ったものを監督に提出しました。
最初はみんなの投票で 旗 のデザインを決めるということでしたが、私がイラストを提出して二週間くらいで私のデザインしたものが 旗 とユニフォームのマークになっていました。
なぜ投票もしないでいきなり決まったのか理由を監督に尋ねたら 私が「一生懸命考えていた」 事をみんな知っていたそうでした。だから私のデザインで 旗 を決めたのだと。
今でもリトルイーグルスは私がデザインした 旗 を使っています。
中学に入って初めてクラスマッチのことだ。
小学生の運動会とは異なって、生徒の自主的な企画などが重んじられる傾向にあり、クラスマッチの応援についてもそうだった。
全校生徒が紅白に二分された小学校の頃と違って、学年にある他のクラス全てが「敵」だった。
今日のように、「怪我するといけないから…」とか「順位をつける、優劣を明らかにするのは、平等の精神に反する」などと、柔なことを言っている時代ではなかったから、クラスマッチの直前は仲間の大半が戦々恐々としていた記憶だ。
だから、当然に応援にも熱がこもった。
それを象徴するのが「応援旗」だった。
だれに言われるものでもなく、自然発生的に応援旗の企画が持ち上がり、他のクラスには内緒にして秘密裏に製作された。今日のように、具合のいいペイントの材料が手に入り難かったから、色別の油性フェルトペンを使った。
旗の生地は、使い古された木綿のシーツだった。
竹竿にくくり付けて、できあがった。
さて、クラス団結の象徴が翩翻と初めてのクラスマッチを迎えた。
空は生憎の曇天だったが、応援旗は確かに輝いていたと思う。
当のクラスマッチの結果たる勝敗や順位に関する記憶は薄れてしまったが、その応援旗に描かれたツルの図柄や製作風景のことはよく覚えている。
今となっては懐かしい思い出だ。
思ったことを伝えるのは難しいですよね。
しかもスポーツの試合とかのように離れていて、声もまともに届かないような時は伝えたくても伝える術がないですよね。
わたしは高校時代に高校総体に出場したとき、応援の友達が大きな旗を作ってくれてるのを見て、とても力が湧いたのを覚えていますね。
最後まで諦めるな!そう書いてあるだけなんだけど、伝えたいことは十分に伝わったよ。旗の力、文字の力ってバカにできないほど効果があります。
だからお店の人も店頭に旗を掲げて宣伝するんでしょうね。
旗はとても不思議な力がありますよね。わたしの記憶に残っているのは、テレビで離島を離れて進学する友達を見送る時の旗でした。
大きな旗を10人くらいで抱えて、送り出す友達の名前と似顔絵を描いていたの。
とてもシンプルな旗だったんだけど、友達を思う気持ちってのが良く伝わって来ました。
お店なんかの旗もそうですよね。風ではためいて存在を示してくれる。言葉以上に伝えたいことを伝えてくれる魅力が旗にはありますよね。
今度、定年退職する上司のためにみんなで旗を作って、寄せ書きでもしようかしら^^。
長崎県の小さな島に私の親戚が住んでいます。
お盆になると船の大漁旗を掲げお墓で爆竹をならします。
同じ日本でも変わった風習があるものだと思いました。
この大漁旗というのは、同じやつはひとつもありません。
それぞれ、船の名前を書いたり大漁を祈願したりする文字
が書かれています。そして、その旗の美しさといったら相当なものです。
この島だけではなく全国どこでも漁師さんが使う旗というのは派手なのですが、実際自分の目で間近でみると迫力が違いますよ。
大きいものだと5m以上ありますからねー。5mをこす旗に色とりどりのカラーと船名がかかれ大迫力です。
私が旗と聞いて思い出すのは、漁師さんの大漁旗です。
毎年行われる大学の学祭で旗をつくるのは、実行委員の役割
でした。
そこで、毎年友人たちと強力して、学園祭の旗つくりをしてました。
色んな旗ができあがって、デザインするのも楽しかったです。
大学っていうと、独自の旗があるんですよね。
マラソンの試合なんかでも全国から集まってきた旗なんか
を見ると、あぁ〜母校ができるーって風になんだか感動しちゃい
ます。
カラーもその大学のものだし、その旗についてるマークだって
その大学独自のもの。それを見ると、愛着がわいてくるっていう
か、何年も大切に守られてきてるそんな伝統を感じることが
できます。
どっしりとしてる旗って力強さを感じることができて大好きですね。
私が印象に残っている旗といえば、小学校6年生のときにやっていたバスケットの大会で掲げられていた旗です。
次勝てば、大きい大会にいけれる!!ってときでした。
いつもは普通のチーム名がはいっただけの旗を掲げてたんですが、後輩たちの応援メッセージを書いた寄せ書きの旗を急遽、掲げてくれました。
見にきていない後輩たちが応援してくれているようで、うれしかった覚えがあります。
試合中にも、目に入る応援の旗。
とっても心強かったです。
試合は結局負けちゃったけど、その旗は強く私の心に残っています。
私が思い出のある旗。
それは中学校のときの学校旗です。
部活の試合のとき、かならずこの旗をかざって試合したんですね。
これがないと、気持ちが入らない。そんな感じがします。
自分の学校の象徴。
自分は学校の代表で試合をしているんだ、という意識。
こういったものを旗が与えてくれた気がしています。
自分がこの旗から何か力をもらっているかのような、そんな感じをいつも受けていました。
旗。ただその一枚に、私は力づけられ、勇気をもらっていたんだな、と今は思います。

一年の始まりにと、だいたい毎年恒例で行ってます、一般参賀
なんとなく、日本人として、身が引き締まる思いがします
以前は、年配の人が多かったですが
最近では、若い人も、けっこう来てますよ
みなさん、日の丸の旗を、一斉に振るので
その光景は、圧巻です!
旗を振る音も、すごいですよ!
日本人って、愛国心が低いと思ってたんですが
一般参賀の、この旗の多さと
懸命に日の丸を振る、みなさんの姿を見ると
改めて、日本の良さを感じるんです
昔は、おおくの家で、元旦や祝日などに
日の丸の旗を飾ってましたが
最近では、近所でも1件だけになりました
日本と言えば、やっぱこの旗でしょ!
幼稚園児だったから、記憶がずいぶん薄れているのだが、私の住んでいた街を昭和天皇が通る(通るだけ)というので、旗振りに町内の幼稚園児、小学生、ほか多数、駆りだされた記憶がある。
前日あたり先生が引率して場所の下見もしたんじゃなかったかなぁ。動因場所が幼稚園から程近い場所だったからだと思うけど。
「合図あったら、旗を振るんですよ」
と先生。そして合図で旗を振る練習。肝心の旗はないため、園児な私、いまいち旗の感覚が掴めなかった。天皇陛下がテレビでしか見ることのできない人なのはわかっていたが、何せ、園児なので、テレビに出る人など天皇陛下でなくても、こんな田舎にくることなどないことだったので、大人の人たちは準備で右往左往だったんだとうとは思う。
でも私は、支給されない旗を振る練習の不思議さに首をかしげるだけでよかったんだから、子供ってやっぱいいよな。
当日、現地で渡された旗に(確かに当日配るのが一番安心だ、綺麗だし忘れたりする子もでないわけだしね)、テレビでは見た光景をこれから自分たちがやるのかと旗を見ながら思ったものだ。
昭和天皇の乗った車はあっという間に通り過ぎたらしい。
園児なので、先生の合図に集中していたし、旗振り始めたら、旗振るのに必死でそれに集中してたから、気づいたら、もう通った後だったから。
何も覚えていないけれど、ピシッとした紙の旗がパタパタといい音をたてるので、その音が今でも耳から離れないでいる。
旗に注目する機会って、学校行事や何かの大会などでしか思いつかないんですが、
小学校の頃は毎朝、朝の朝礼の時に国旗と、学校旗を揚げるというのが朝のはじまりでした。
「全校生徒、注目」で旗の方を全員向くんですが、今ってこういう機会あまりないんじゃないでしょうか?
今思えば、学校の旗はその学校のシンボルであり、マーク、目印で、とても重要なものなんだなって思います。
なかなか自分の学校の旗をまじまじと見る機会がないのですが、
マンホールにその町や市のシンボルマークが描かれているのと同様、旗にもその学校のシンボルマークがあり、同じものがないと言う意味で、色んな旗を見てみるのは楽しいかもしれませんね。
次に旗を見る機会があれば、じっくり見てみたいと思います。
旗といえば、学生時代には付物でよく運動会では作りました。
必ずクラスから数名 旗作りとして選出されますが、
私は美術部であったこともあり毎年描いていました。
授業を受け終えた後、教室の中の机や椅子を端に寄せ空スペースを作り
2週間ほどかけて旗を作りました。
インクの用意や色作り、後片付けまでなかなかの労力だったと思います。
中でも思い出深いのは、真っ白の旗に大きな龍と学年クラスを描き、それが優秀賞を取ったときです。
クラスの運動会の成績も上々だった上、旗でも優秀賞を取ることが出来たので
素晴らしい思い出となりました。
居残って時間をかけて頑張って作った甲斐がありました。
旗作りのメンバーとその喜びを分かち合えたのも良い思い出です。
OL生活2年目に会社名が変わりました。
その頃の私にはよく分からなかったけど、社名変更って大変なコトらしい。
社名変更のためにパーティーを開いたり、挨拶状を送付したり。
各取引先への連絡はもちろんのこと、社員にも徹底しないと。
電話に出た時に、つい元の会社名を言っちゃったりってことも。
その、社名変更の時に、社章も変更して、その社章で会社の旗も新たに作成。
日の丸と一緒に会社に掲げることに。
その社章が水色の水玉。
白地に水色の水玉の旗が、白地に赤丸の旗と並んではためいているのは、なんとなくのどかな感じで微笑ましかったです。
我が家の子供はサッカークラブに所属したばかり。まだまだ選手に離れないけれど、かげながら練習を重ね、応援グッツも作っています。ほとんど親が作ってしまうんですが、
子供のアイディアの下です。そこで思い出に残るというか私たちが製作した旗・・・それは
みんなの足型の旗なんです。まだまだ字が書けない子供ばかりなので
思いを込めた応援の旗にするには・・・と!手形は聞いても足型ってあまり聞かない??
でもそこはサッカークラブ☆みんなの願いはゴールにシュートを!!!ってことで足型に!
みんなで足型を振る光景はきっと周りからしたら変だったかもしれないですね(笑)
旗といって一番最初に思いつくのが、母校の旗です。高校時代、わが高校には大きな旗があり、行事や大会の時に必ず登場しました。野球大会のときはスタンドの一番後ろで、応援団が旗を持ちます。とても重い旗なのですが、団員は1人で何時間でも苦痛に顔をゆがめながら旗を持ち続けていました。それくらい旗は大事なシンボルだったんだと思います。学校の象徴でした。旗が風になびく姿は、とても凛々しく誇らしげで私も大好きでした。今でもあの風景を思い出すと青春時代に戻ったようなワクワクした気持ちになれます。
高校の時には陸上競技部に入ったまして、試合の時には
競技場に母校の大きな旗を飾るんですね。
各学校がそれぞれ、旗を手すりに付けて・・・
学校の代表で出場しているんだなぁ〜とつくづく思いましたね。
県では有名な学校でも、地区や全国大会では、無名でしたから
他の有名校の旗を見ては、○○高校だ〜と憧れて見てましたね。
TVで、駅伝やマラソン中継を見ていると、企業や学校の旗を持って
応援する姿が懐かしいですね。
代表として、声援を受けながら走るのが励みになりますね。
旗って今はそんなに見る機会がないですが
小学校の時の運動会の応援団の時に
作った事があるんです。
あたしは黄色組でその年、その年で組でイメージキャラクター
みたいなものがあって、その年は虎でした。
あたしは虎年なのでそれだけですごく嬉しかったんですが
旗にも大きな虎を書いて、「黄色 優勝!!」って
書いて。
何人かで力を合わせて作ったものなので
出来上がった時はすごく嬉しかったです♪
それを運動会の本番の応援の時に応援団の男の人が
ふって使うんですけど、応援している時も自分達が作った
旗が気になって仕方ありませんでした(*ノ∀`*)
その年は黄色が優勝して本当に嬉しかったです♪
旗のおかげだわ〜なんて思ったりして。
今でもすごく思い出に残っています。
旗と聞いて思い出すのは、高校時代の運動会です。
わたしの通っていた高校は、女子校で私服、
というかなり珍しい学校で、運動会も年に
3回、春は陸上競技、夏は水泳大会、
秋は球技大会を行う、というかなり
ユニークな学校でしたよ。
女子だけですし、クラス対抗や縦割りクラス
対抗という競技もあって、結構燃えましたね。
その時、オリジナルの旗を手作りして、
応援する時に振るんですけど、それが
とても印象深くて、いまだに思い出すことが
あります。

私が、印象に残った旗は浦和レッズの応援席にいつも必ずあるチェ・ゲバラの旗です。
浦和レッズサポの私は、Jリーグ開幕のころからあしげにスタジアムに通って
サッカーを観戦していますが、チェ・ゲバラの旗はインパクトがあり好きですね〜
チェ・ゲバラは、浦和レッズとは特に関係ないんですよ〜
レッズのサポーターは反政府主義者ではないし。
ただチェ・ゲバラのあの似顔絵はデザインとしてもかっこいいから使っていると思います。
また海外でもチームは分からないけど、チェ・ゲバラの旗を振っていたのを
テレビで見たことがありますしね。
あとは、単にゲバラがサッカーが好きだったという話もあります。
私なりに、チェ・ゲバラの人生を調べたのですが
不屈の精神をもっていた人だとわかりました。
なので私たちは、浦和レッズには不屈の精神でサッカーをプレイしてもらいたい
とチェ・ゲバラの旗に思いを馳せて応援しています。
俺の通ってた中学ではクラスの旗を作るという風習がありました。
それを体育祭や文化祭で使うわけ^^
毎年ね、4月に新しいクラスになって最初にやる作業がこの旗つくりなんです。
みんなでクラスのスローガンを決めて、絵を描いて・・・
放課後にそんなことをやるんですけど、それで仲良くなろうって狙いもあったんかもね^^;
でも一番思い出に残ってるのは中学3年の時の旗かなぁ。
俺が中学3年の時、阪神大震災が起こりました。
俺も被災者です。しばらく学校にも行けなかったから^^;
でね、なんでこの時の旗が一番思い出に残ってるかって言うと
久しぶりに学校に行ったわけ。
もちろんみんな元気がないって言うか、疲れてるんよ。
そんな時に教室に入ったらこの旗があったんよ。
クラスのスローガン
『まじ!マジ!!真剣!!・・・絶対負けない!!!』
もともと受験に負けないって意味で考えたスローガンやったのにさ。
地震なんかに負けてられるかって!!!
そぉ思えて元気になったのを覚えてます。
これが俺の旗に関する思い出ってとこかな^^;
子どもが通っていた保育園では、毎年手作りの万国旗を作る。それを運動会の日、園庭に所狭しと飾り付ける。
万国旗といっても、紙に印刷された絵に好きな道具で色を塗るだけのもの。
普段は仕事と家事の両立で忙しくて、なかなか子どもとじっくり関わる時間がないけれど、この時ばかりは、子どもとふたりで いろんなことを語り合いながら塗り絵作業をしたものだ。
1歳から保育園に通っていた長女の最初に手がけた万国旗は 塗り絵というより、ほとんどなぐりがき。 下絵が見えなくなるくらい、クレヨンでぐるぐる思い切り好きなように描いていた。
そんな長女の塗り絵の手法も年齢を重ねると共に次第に変化。
「あ〜 この子は もう こんな描き方ができるのねぇ」とわが子の成長をしみじみと感じたものだ。
そんな長女も 今年高校を卒業。 もう塗り絵なんてすることはないけれど、今だったら、どんな道具でどんな万国旗を作るんだろう・・・・

毎回、応援で、沿道に出て旗を振ってます
この旗は、スポンサーから無料で配布されるもので
道を歩いてると、何本でも貰えますよ〜
毎回、参加して、思い出に旗を保存してるんですよね〜
記念にと、もらって帰る人もおおいです
今年は、とにかく、メッチャ寒い日でしたね
そのせいか、沿道の応援も少なく感じました
少ないからこそ、一生懸命、旗を振って
応援しようと思い
今回は、両手に2本づつ、旗を持って
日本人選手が前を通る度に
旗がちぎれるかと思うくらい振ってました
ふと、向かい側をみると、大阪のオバチャン達も
がんばって応援してましたよ
自衛隊とかの部隊では旗は
部隊の命らしい。
私は自衛隊の訓練を見学に行ったのだが、部隊の旗は命がけで守るし、
軽率に扱うとペナルティーもあるのだ。
私が思う理由は、
昔の軍隊の風習が残っている
のかもしれないので
取られたら負け
である。
おそらく取られることは
部隊の大将が負けたという証拠
になるのだろう。
時代劇でも旗は大事だし、それを模倣した騎馬戦とかも同様である。更に旗は
部隊の象徴なのでデザインにも工夫されている
ところもすごい。
マークだけでなく、漢字等
も組み合わせて作られる旗は
一種の芸術
であるだろう。
命イコール旗なのでこれほどの思い入れもあるのだろうか?
旗って自己アピールというか、自分の気合を広く知らしめるものですよね。
たとえば、運動会なんかでも旗を掲げたりしますよね。
私が印象に残っている旗といえば、アントニオ猪木が全盛期だったころ、よく会場で『世界一強い アントニオ猪木』という旗を立てているのも見たときでした。
赤い色のの旗で、よく会場なんかで振っている人を見かけました。
テレビなんかでもよく会場の様子が映っていたので、知っている人もいると思います。
アントニオ猪木が入場してくる時に、その旗もリズムよく振っているのを見て、私の心も胸躍ったのを覚えています。
やはり旗って何か、特別なものがあるのかもしrませんね。
私は高校生の頃「学級委員」やった事があります
といっても・・・私が風邪で休んだ日に選挙があり
押し付けられるようにして無理やりやらされたんですが・・・
生徒会の会議や季節ごとの催し物そして学園祭と
ひたすら忙しかった事を覚えています
でも・・・そんな嫌な役回りではありましたが
学級委員やっていて良い事もありました
ひとつにはちょっと好きだった女の子と
一緒に学級委員を勤められた事と
体育祭のとき私が作ったクラス旗が
大変好評を得て表彰された事です
大きさは2㍍×3㍍でしたが下書きから始まり
色つけまでほぼ1人で仕上げました
こういう時友達って手伝ってはくれますが
必ず「おふざけ」が始まって邪魔なんですよね・・・
基本的にはクラス旗ってクラス全員で作るものなんですが
私のクラスは全部お任せというか押し付けで
私に一任されたんですが同じ学級委員の女の子の前で
ちょっぴり良いとこ見せてやろうと必死になって
フェニックスの絵を書いたらみんなが評価してくれました^^
その後一年間校舎入り口に展示され登校と下校時に
学校中の生徒に見てもらえましたよ
その後その旗は歴代受賞作品と共に
倉庫にしっかり保管してあるそうですが
私にとってこのときの体験は初めて自分で
何かを成し遂げたというそれまでには経験した事の無い
充実した達成感がありましたが
これはきっと生涯忘れない感覚でしょうね^^
無理やりから始まった学級委員でしたが
今ではやって良かったと思っています^^
私の通っていた高校は行事が盛んな学校でした。文化祭や体育祭などの行事は全員参加で、勉強そっちのけで夜遅くまで準備をしていたものです。体育祭も同じで、応援のための大看板(高さ3〜4mはある)や特大の応援旗なんかもつくりました。
応援旗は大きく作りすぎて一人では上げられずに、2〜3人がかりで振ったのを思い出します。デザインも画がうまい奴が下絵を考えて、それをベースに数人がかりで彩色をほどこしました。
はっきりいって何のためにもならなかったのですが、仲間と一緒にものをつくったということはいい思い出になりました。
旗って印象にのこりますよね
その旗がなびく感じとその時の思い出が
重なって思い出す。
そんな感じでしょうか
私の思い出の旗は
あるアーティストのコンサートで
ファンの方達がオリジナルの旗を作ってて
それぞれのカラーがあったりしてみてるだけでも楽しくなって
知らない人ともその旗を囲んで記念撮影して
お友達になったりして
なんだかとっても楽しかったなぁ
応援する気持ちも旗を持つと通じるような気がしますしね!
ぁぁ、また旗振りたいなぁ〜〜〜〜
旗を見ていると思い出すんですが、
私が小学生の時ですよ、同じクラスに漁師の息子がいましてね。
その漁師の息子が喧嘩っぱやくてね、ガキ大将みたいな感じでして、
情けない話しですが、早い話が私目は子分みたいな感じだったのです。
子供の世界とはそういうものですから、けっこうね、私もそれで楽しかったんです。
で、ある時別の友達たちと港町まで自転車で遊びに行きまして、
漁船なかがギーギー揺れてて、友達を海に落とすマネなんかをして、おいおいやめろよ〜みたいに遊びながらぶらぶらしてたんです。
そしたらどこかから声が聞こえまして、その方を見ると、っている漁船の上にそのガキ大将の漁師の息子がいましてね。
あ!○○君だ!!って私達は彼を見てたんです。そしたら彼は子供ながらに大きな旗を振りましてね、
大漁旗ってやつだと思います。それはまぁ見事な刺繍きらめく大漁旗ですよ。
旗を一生懸命振りながら、「おーいおーい」って言ってるわけです。
私たちもね、「おーいおーい」言いながら、追いかけました。
ポッポッポッポって漁船の音をならしながら船は出て行って、そのまま見えなくなったんですけどね。
しばらく私達はその場でポカーンとしていました。子供ながらにちょっとした感動を覚えたのでしょう。
友人が船に乗って旗を振りながら、海に出て行くなんて、なかなか良いシチュエーションですよ。
かっこいいなぁって思わずみんなつぶやいてました。
旗は良いですよね。風になびく旗。
勇ましくもどこか切ない。そんなノスタルジックにも似た魅力があります。
私もね、人生のうちでいつかね、これが自分の旗だぞって、そう言えるような旗を手にしていなって、そう思います。
自分が印象に残った旗というとパチンコ屋さんのお店の前に飾られていた旗です。
普段はちょこちょこパチンコをやる程度なんですがある夜にパチンコ屋さんの前を
通りかかったら『お仕事お疲れ様です。仕事終わりの一勝負!』という旗が
飾られていました。普段は自分が行くと決めた時意外はフラッとパチンコ屋さんに入る事はないんですがそのときは旗につられて入っちゃいましたね。デザインもなかなか人を
ひきつけるようなデザインで見事にひきつけられました。でも勝ったのでよかったです。

割と地味なコース(親には60歳コースって言われた)を旅したことがある。
親不知の岸壁や雪の切り立つ白馬、ラーメンが美味しかった喜多方も良かった。
しかし今も印象に残るのは佐渡の大漁旗の乱舞だ。
日本海の潮風を思い切り受け止め、はためく大漁旗は各々の家の
大黒柱たる漁師達の無事と漁の成功を祈って折られたもの。
都会で漠然と学生をしていた僕は「生か死かの狭間で稼ぐ男」と
彼らに賭ける想いの一端をその旗から感じて、大変にショックだった。
感銘を受けたと言うレベルではない。これから自分も彼らと同じように
社会にでて、大黒柱としての決心を持って働かなくてはならない。
誰に言われた訳でもなく、そんな思いが去来した。
今でもあの大漁旗を思い出すことがある。そしてその度に頑張ろうと思い直すのだ。
昨年、子供の運動会がありまして、各クラス単位で旗を作りました。
幅1m、高さ5m程度のサイズでしたが、デザインも色もみんなで決めました。
運動会の当日、クラスの旗が並んでいて、気合十分でしたね。
あの旗を作る過程で、クラスの力がひとつにまとまる。。。そんな効果も期待できます。
また、運動会当日は多少風が強かったのです。
校庭のバックネットに留めておいたのですが、風にめくれて当日は良く見えなかったのが残念。
でも良い思い出になったと思うんです。子供のクラスでは、大きな文字で「風林火山」と描かれていて、色も鮮やかでしたよ。
運動会の当日は気合をこめていこう! そんな思いを感じる旗でした。
僕が中学生の頃、学校の運動会では、クラスごとに旗を作って、クラスの前に立てていました。その時印象に残った旗があるんです。普通この手の旗を作る時は、ペンキで旗に絵を赤きますが、なんと、旗に刺繍で絵を描いていたクラスがあったんです。
なんかやけにきれいな旗だなって思って、近くによって見ると、刺繍なんです・・・・。女の子たちが作ったらしいです。あまりにも見後なんで、今でも覚えていますね。
結構、大きな旗でしたから、大変な時間がかかったのでは??って、思わず、ご苦労さん!って言いそうになりました。
最近の女の子たちには、あの旗を作ることは出来ないのではないかって思いましたね。というのは、最近の女の子って、刺繍なんかしないみたいですからね。
私は学生時代、バドミントン部に所属し、必ず部活が始まる前には「部旗」を体育館に張り、
部旗にも敬意を称していました。そして、終ったら一礼、また、大切にたたんで片付ける。
部旗のたたみ方も、しきたりがありました。
また試合の時も、学校名の入った部旗を体育館の手すりに掲げ、部旗とともに先輩の応援、自分の試合を見守ってもらっていました。
運動部の私達にとっては、お守り!神的存在でとても大切にされていました。
応援団の方たちもそうですよね!
試合の応援中は、応援団の旗は、どんなことがあっても降ろさない!!
マラソンでも、所属する企業の旗、応援で沿道で振る旗、いろいろありますよね。
旗は、元気の源を与えてくれるものだと、私の中では確定してしまっています。
でも、スポーツの世界だけでなく、旗の活用はお祭り、大魚旗、お店など、いろいろ活用されていますよね。
カウンセラーという仕事柄、私は多くの不登校の子どもたちと関わってきましたが、その中でも印象に残っているのは、旗が元気にしてくれた小学4年生の女の子のことです。
転校以来、クラスに馴染めず不登校となり、私の勤務する相談室に来談しては一緒に絵を描く日々。
ですが、その子は本当に絵が上手で、そして、何よりも、絵を描くのが大好きだったのです。
学校の先生とご相談して、運動会の大きな旗をその子にデザインしてもらうことになりました。
なかなか学校には出られなかったその子ですが、相談室で一生懸命にデザインしてくれた旗には、大きな鳥が青空に逞しい羽を広げる大迫力の絵が踊っていました。
運動会の日、大きな鳥が描かれるにふさわしい巨大な旗が運動場に舞った時、女の子の瞳もキラキラと輝いていたことを今も忘れることはできません。
そして、その日から、少しずつ学校へと戻りはじめ、今では、もうすっかり元気に通学しています。
彼女の心を甦らせてくれた旗に、今も感謝の思いでいっぱいです。
旗を各クラス1枚ずつ作成して、体育祭の時に掲げるのが伝統だったウチの高校。
高校3年生のとき。
絵の上手い子がクラスに何人かいて、その子を中心にして旗を作ることになった。
みんなから、どんなデザインがいいとか。
キャラクターはアレがいいとか。
色々案は出たものの、まとまらず。
夏休み明けに体育祭があったものだから、旗を製作する期間も夏休み。
高校3年生だったから、当然みんな受験勉強があるわけで。。。
旗作りはあんまり進まなかった。
補修の後で私も何回か旗の色塗りに参加した。
みんなでくだらない話をしながら、色を塗っていく。
受験のことなんて忘れてバカな話ばっかりしていた。
今考えるといい息抜きだったのかも。
そんな旗作りも、体育祭ギリギリに完成。
完璧な仕上がりだった。
その出来っぷりに皆「欲しい!終わったら持って帰りたい!」と言ったほど。
結局、体育祭は雨天による3度の延期で・・・体育館で結局することになってしまったんだけど、うちのクラスの旗が一番輝いているように見えた。
あの旗、今はどこにあるんだろう?
印象に残っている旗・・・
というと多くの人が学校や家庭などで自作した旗のことを思い出されるかもしれませんが、私が印象に残っている旗は何の変哲もないただの赤い旗です。
木の棒で作られたただ真っ赤な旗です。
ではなぜそのような旗が印象に残っているのかというと、それが旗を持って誰かを応援するということを初めて行ったことだからです。
学年は良く覚えていないのですが、小学生のときの話です。あまり運動会というものに積極的に関わってこなかった私がなぜか応援団に立候補したのです。そして運動会までの2週間ほど昼休みを使って旗を振る練習をしました。
2拍子、3拍子、3・3・7拍子といった応援の基本的な旗の練習をしたのですが、私が担当したのが小さい手旗・・・ではなく自分の身長以上の長さがある棒に、自分がほぼ隠れるほどの大きな赤い布が張られた旗でした。
もちろんそのような旗ですから空気抵抗などが加わってかなりの重さがあり、2・3分振るだけでかなり体力が消耗されましたが、運動会当日はしっかりと振ることができ、応援の対決で勝利することができました。(全体では負けましたが・・・)
それからときどき旗を振って応援する機会もありましたが、自分よりも大きな旗を振る機会は今のところ小学生のときだけとなっています。
中学生の時に、体育祭ってありましたよね。
私が行っていた中学校の体育祭では、
クラスの団結力を高めるために、
クラス旗っていうのを作りました。
真っ白くて大きな布がクラスに1枚用意され、
そこに絵を描いたり、文字を書いたりして
それぞれのクラスのオリジナルの旗を作ります。
私が一番、覚えている旗は
絵の上手な子が真ん中に
担任の先生の似顔絵をかいて、
そのまわりにクラス全員が
一言ずつ目標や意気込みを書いた旗。
私の行っていた中学校の体育祭は
保護者もほとんどの家がお弁当持ちで見に来るような
盛大に行われる体育祭で、
個人競技の他に、
クラス対抗の競技もいろいろあって、
すごく、盛り上がるんですね。
その、応援で旗を使います。
クラス全員が競技に参加するときは
担任の先生や、怪我をして参加できない子が
旗を持って応援したり、
個人競技の時は
応援係の子が旗を持って応援したりします。
体育祭が終わった後も
3学期の終了式までずっと教室に飾っていました。
みんながすごく愛着を持っていた旗でしたよ〜。

私の地元で有名なお取り寄せ店の本店にいったのですが、
ここの庭園がきれいで思わず写真に撮っておきました。
その写真で、印象的だったのが「日本国旗」ですね。
ちょっと暗くて分かりずらいかもしれませんが、ご了承くださいね。
静かな庭園にたたずみ、そして、凛として立っているので、
しばらく足を止めて、眺めていました。
学校に通っていたときも、旗を見ると圧倒されましたが、
なにか重みのような、これまでの歴史を感じさせるものですよね。旗は。
特に日の丸国旗には、今回のような、静かな庭園にあると、圧倒されますね。
中学生のとき、運動会で各クラス応援団旗を作ることになっていた。
それぞれクラスでデザインして、書き上げるのだが
運動会では、それがカラフルにはためく。
旗をかかげて応援する姿は、今も忘れない。
旗を作るときの、いろいろな思い出も今では忘れられないものとなっている。
その旗をみる保護者も楽しみにしたようで
わが子のクラスの旗のテーマなどをプログラムで確認していた。
運動会の評価も楽しみだったが、親から「旗がきれいだった」とか
「上手に出来ている」といわれると、やはりうれしかった。
子供の頃によく秘密基地を作って遊んだ。
誰にも見つからないような場所で子供ならではの子供だけの場所。
山の中にやぐらを組んで、懐中電灯やお菓子をみんなで持ち寄り、
ひっそりと遊んでいた時代がありました。
皆さんも経験ありませんか?
この前、仕事で、山道を通っていたとき、
なにやら手作りの「旗」が掲げてありました。
それは、近所の子供達が作った、秘密基地でした。
すごく懐かしかった。
白地に黒いマジックで、「秘密基地」と書いてある。
書いてしまったらバレるよ???(笑)
と思いつつ、そのまま素通りしてあげました。。。
他には、よくわからなかったけど、龍?のような絵が描いてあり、
すごく一生懸命なんだと思いました。
「旗」は目印!
子供達が仲間を集める場所に「ここだよ!」という心の拠り所を記している。
そして、その「旗」は皆の心の象徴でもある。
皆の想いがこもった「旗」
ずっと、掲げていて欲しいなぁ。
「旗」について考えてみる。
国旗 運動会の旗 学校の旗 宣伝用のドライブ中にみる車のディラーなんかではためいている旗 大安売りの旗 飲み屋の前に立っている旗 映画に出てくる兵隊さんが持っている旗 日本の武士が馬に乗って戦いに行くときさしてる旗
サッカーの試合とかで、観衆がもってるおっき〜な旗? マラソンで応援している人が持っている紙の旗? お誕生日のオードブルやカクテル?(ありゃ傘か?)に刺さっているかわいらしい旗 日の丸弁当(今の子は見たことないよねきっと。)
私の記憶の中で、一番印象に残っている旗は、高校野球で応援に使った、大きな旗ですね。私が在学中、野球部が、ベスト8までいったことがあり、その時に使われた大きな旗は今でも印象に残っていますね。
いつも球場の一番高いところにあった、この旗が風になびくと、大きく舞って、かなりの迫力がありました。今では、その学校も統廃合で、合併することになり、その大きな旗を見る機会も、なくなりつつあります。応援だとともにあったあの旗の勇士をもう一度みたいと、考える時がありますね。
広告手段にはいろいろの方法があります。
代表的なものに看板がありますが、看板はかなり大掛かりな広告媒体だと思います。
そのほか、のれん、提灯などがありますが、飲食店の広告媒体に限られそうです。
その点、旗は小回りのきく広告媒体ではないでしょうか。
あるとき、かなり広い体育館で、物産展が開かれました。
各県からいろいろな名物を出品されていました。いろいろなものがあり、どこに行こうか迷っていましたが、カラフルで目だった旗でアピールしていた県の物産ブースに引かれて、そこに最初に行きました。
旗は使い方によっては、有力な広告媒体だと思います
旗といえば思い出すのが大学時代の応援団が持っていたもの。
とくに、野球の応援には欠かせないものだった。
いかにも重そうで大きな旗をただ持っているだけでも大変そうだったが、それを球場に背を向け右に左に揺らしていると、応援席のわれわれは否が応でも注目してしまった。
毎年、春と秋のシーズンには、詰襟姿の(それだけでも暑苦しそうなのに)の下級生らしき応援団が、首やおでこに青い血管を浮き出させながら懸命に旗を振る姿は、一体感を醸し出すのには十分だった。
旗っていろいろな場面で目にするものなんですが、
私の思い出に残っている旗というのは、応援の時に使った旗です。
学生の時に、バレーボール部が全国大会に出場した時に、
学校のみんなで寄せ書きをした旗をつくったんですよね。
文字通り、みんなの思いが詰まった旗なんです。
これを応援のときに使ったんですね。
わたしたちの大部分は、直接会場に応援にいけなかったんですが、
その旗が会場で応援に使われたということで、
自分自身も会場で応援しているような、
そんな気持ちで応援することができました。
旗って、いろいろな人の思いを託されるものでもあるんですよね。
昔小学生の時の運動会の時は、
クラスが3クラスに分かれていて、
それぞれのクラスのカラーが
決まっていました。
普段は1組、2組、3組と呼んでいても、
運動会になると
1組が赤組、2組が青組、3組が黄色組と
なるので、それぞれのチームの旗も
ちゃんと用意されていて旗の色が
赤組は赤、青組は青、黄色組は黄色の
旗を代表の子供達が先頭に立ち、
思い切り振り回していたのが
とても印象的です。
この旗が、もしないのを想像したら、
とても寂しくなってしまっていたと思います。
それぐらいその旗は印象が強くて
今思えば、なくてはならない旗でした。
私は結婚してはじめの頃漁師の町に主人の仕事のため住んでいました。そこで初めて大漁旗を見ました。そうです、その地域が1年に1回行っているお祭りです。その大漁旗をつけて船がまわっているのです。すごくいろんな旗があってびっくりしました。その大漁旗を近くで見たことがなくて見せていただきました。すると、あんな小さく見えていた旗がとっても大きな旗なのです。しかも、それぞれ柄も違って見ていると楽しいです。そして、その古い大漁旗を使って、地元の老人クラブでははっぴを作っていました。それも味があってとっても素敵なものでした。ここに住まなかったら見ることができなかった旗なので今ではよかったな〜って思っています。
「白地に赤く、日の丸染めてああ素晴らしい日本の旗は」
これは日の丸の歌だ。
日本人としてこの「日の丸」という国旗を大変誇りに思う。
歴史は大変古く、源平合戦にも登場する。
その後さまざまな変遷を得て、明治維新となり、国旗として日の丸が定められる。
まさに日本の顔だ。
こと旗が掲げられるだけで、世界中日本だとわかる。
国旗・国歌法が制定され、正しい姿に近づきつつある。
世界中で国旗と国歌を大事にしない国は無い。
サッカー・オリンピック・サミット等等。
国際舞台では必ず各国の国旗が掲げられる。
自分の国の旗を大事に出来ない民族は滅びてしまう。
現在の若い日本人は10年前より、随分とそのことがわかってきたのではないだろうか。
その契機として、日本で開催されたサッカーワールドカップがある。
この時、沢山の国旗が若者によって掲げられ、小旗が振られた。
日本人として、人間として、国旗を大事にしましょう。
その気持ちの延長が国を大事にする、人を大事にする、家族を大事にする心につながります。
「旗」って、あたりまえですが、象徴だと思います。
そんな「旗」なんですけど、強烈に印象に残った「旗」があります。
その「旗」は、おっきなまっ黄色の「旗」で、文字も何にもなくて、まったくもって何を意味しているかわからないんですね。
で、近くまで行ってみてみると、お好み焼きやさんの「旗」でした。
ちょうどおなかもすいていたので、食べることにしました。
で、「旗」について聞いてみると、使っている理由は「目立つから」だそうです。
「確かに。。。」
実際、自分も吸い寄せられるようにお店に入ってしまいましたし、他にもそういうお客さんがいるんだと思いましたね。
味は、まあまあのお店なので、リピートするかというと微妙ですが、「おっきなおっきなまっ黄色の旗のお店」といえば、誰もがわかるので、待ち合わせとかにも使えますし、何より印象に残って覚えてしまいますね。
学生時代、ちょうど全国に吹き荒れていた大学紛争の渦中にありました。
いろんなセクトが掲げている旗はきわめて戦闘的で、一般学生であった私にも、あの旗の記憶が鮮明に残っています。
単に党派名を書いた「しるし」としての旗ではなく、闘争心を煽る武器として、旗は使われていたようです。
プロサッカーの試合の応援でも大きな旗が使われていますが、本質的には、大学闘争で使用されていたものと同じ趣旨だと推測いたします。
野球の応援でも、旗は必需品です。
いずれも、血わき肉踊るものがありますから。
旗があることで、帰属意識が生まれてきて、その集団は一つにまとまります。
バラバラの個人が集まっただけの集団よりも、より強い力を発揮するものです。
旗の効用には、本当に大きなものがあります。
旗を見るたびに、旗の持つ効果に思いをいたす次第です。
オスッ!
応援団の団旗は、団の命であります!
決して、地面に触れさせることになってはならぬのです。
そんな大切な旗を守るのは、大変な重労働なのであります。
応援の試合が長引けば、交代の団員に代わります。
しかし、一時に何箇所もで試合がある場合、応援団員が振り分けられます。
おのずと旗持ちの役をする者が減ります。
屋内の試合時間の短いものならば問題はないのであります。
だが、炎天下、長い試合時間、若しくは雨、今場合ラグビーやサッカーですが、
当然試合時間が長い上に、雨で団旗が濡れると尋常でない重さになります。
それでも団旗は振り続けなければなりません。
旗は、魂を揺さぶり、選手に活を与えるのです。
最近はあまり目にすることは少なくなった旗ですが、考えてみると国旗、大漁旗、校旗、社旗等いろいろあります。
大抵の人も同じだろうけれど私についていえば、旗にまつわる思い出はやっぱり日の丸です。
なにかと物議をかもしていますが、それでもオリンピックの時の国旗掲揚の
時の日の丸が揚がっていく、そのさまはやはり心に残ります。
特にロサンゼルスオリンピックであの柔道の山下選手が金メダルを獲得した場面。
足首を痛め引きずりながら決勝戦にいどみ、見事、優勝し涙を流し、立っているそのシーンで日の丸が掲げられていく、その様は今でも脳裏に焼きついています。
東京五輪。
遥か昔,小学生の頃。あの五輪は私に日の丸の美しさを強烈に印象づけた。女子バレーの金メダルシーンと表彰式シーン。長じてから繰り返し,「懐かしのシーン」でTV放映されているが,私は確かにあの時あがった日の丸を覚えているのだ。
次々と翻るアメリカの国旗。
あれも強烈だった。
あの時,聞いたことのない国の国旗を見ると地図帳で調べたはずだ。東京五輪。私には,『国には旗がある』ということをインプットしてくれた大会だった。
今年は夏期五輪の年。
日の丸の旗をたくさん見たいものだ。
楽しみである。
街に出てみればさまざまな旗を目にすることができます。そのどれもが特長を持っており見る者を楽しませてくれますね。そんな中でもわたしの中で強く残っているのは運動会などでグラウンドの上空を彩る万国旗です。万国旗はその名の通り世界中の国々の国旗が一同に集められたもので、自分の国もその中の一つであることを知る上で意義深いものです。
小さい頃には日本とアメリカの旗くらいしかわからなかったものが、成長と共に知っている国旗が増えていくことは知的探究心的に考えてとても嬉しかったことを今も覚えています。
高校のときの体育祭で、各クラス、応援旗をつくって、それを、立てて、みんなで盛り上げながら、やっていました。手作りの旗なので、あまり、上手ではないのですが、各クラスの個性がでていて、見ていて、とても、楽しかったです。
絵が上手な人がいるクラスの旗は、もう、プロ並みの出来なのですが、人材不足のクラスは、なんだか、小学生のラクガキが並んでいるような旗もありましたね。うちのクラスには、かわいい絵を描く女の子がいて、その子のおかげで、かわいい旗ができあがりました。
ちょっと、自慢でしたよ!!自分は、何にも、かかわっていないのに・・・。でも、旗って、みんなをひとつにする不思議な力がありますよね。いまでも、うちの高校では、やっているのかな?まだやっていない高校生の方、ぜひ、やってみてください!!団結力が増しますよ!!
旗っていうと、みなさんは、何をイメージしますか?
私は、中学校のときの、運動会です。
あ、ちなみに、正式には、体育祭って呼ばれてました。
そこで、更新のときに、前の人が旗をもつんですが、その旗は、実はみんなで、協力した手作りの旗なんですね。
旗っていうと、普段気にかけないものかもしれません。
でも、私は、旗っていうと、あの時一生懸命作ったMY旗を思い出します。
自分で作った旗には、貴重な経験と思い出がつまってるからなんでしょうね。
旗といえばまず運動会の時の万国旗を思い出します。
小学校低学年の頃は、ただ言われた競技をしていただけでした。
小学校高学年になると、班に分かれて準備したりするようになりました。
得点板を設置したり、折り紙でわっかを作ったり、紙を蛇腹にして
花を作ったり、ラインを引いたり、色々しました。
そのと時に万国旗を倉庫から出してきて校舎の窓から校舎の窓に
わたしたりしました。
懐かしいですね。
あと、私の小さい時は祝日になるとあちこちで日の丸をよく見かけました。
最近見ませんね。
昔の情景を思い出して懐かしい気分になりました。
最近では日の丸はオリンピックでよく見かけますね。
(申し訳ありませんが、私の家には旗がないので、またカメラもないので画像が添付できません。)
いろいろな広告媒体があります。看板、提灯、のれん、旗などが代表的なものでしょうか。
その中でも、旗の役割は大きいように思います。
コンビニへ行くと、必ず、2,3本の旗がなびいています。大きな旗、カラフルな旗、思わず見入ってしまう旗もあります。
先日、節分がありましたが、その日は夕食に迷っていましたが、恵方巻きの旗が目に入りました。その日はその旗のお蔭で、すんなりと夕食が決定しました。
太巻き(恵方巻きです)。夕食時、南南東の方向を向いて、家族でおすしにかぶりつきました。
スポーツの大会になどに行くと必ずといっていいほど学校の旗がかかげられています。
自分の子供はサッカー少年団で昨年はじめたばかりですが、それでも試合数が
いろいろとあって、シーズンには毎週のようにゲームやフェスティバルが開催されます。
グランドは子供用のピッチが4つほどはいる広さなのでかなり広いです。
そんな時、遠くからでも目に付くのがチームの旗です。
チーム名がはいった旗を使用していますが、どこかのチームでは「燃えろ」「進め」
などといった言葉が入った旗を掲げていました。チームを応援する心意気が伝わり
かっこいいと思いました。
あたしが一番心に残る「旗」。
それは小学生のときに生徒全員で作った巨大な「漁旗」です。
小学4年か5年のとき、運動会の踊りで「ソーラン節」をすることになりました。
それで、ソーラン節をするなら、漁旗も作ったほうが盛り上がるんじゃないかということで、生徒全員で作ったんです。2〜3メートルはあるだろう幅の生地を買ってきて、みんなで一斉に船や海・魚・鴎の絵を描き加え、一週間以上かけて一生懸命作りました。
最後に竹棒でさして出来上がり。でもかなりの重さに小学生でも10人以上いないと持ち上げることすらできないほどになっていました。
運動会当日はみんなの踊りと一緒に漁旗がはためいてかなりかっこよかったです。
旗といえば、とても印象深い経験があります。
それは、オーストラリアに旅行にいったときのことでした。
とある、大きな教会に行ってみたんです。
ちょうど、礼拝をしているようで、みなさん、讃美歌を歌っていました。
最初は静かに歌っていたのですが、途中から、総立ちになり、
思い思いに体を揺らしたり、手拍子したり、賑やかになっていきました。
そして、私は見たのです。
大きな旗をあっちでも、こっちでも振り始めたのを。
私はなんで、旗なんか振っているのか、不思議で、目が釘付けになってしまいました。
後で、教会の人に聞いてみると、その旗は国旗だったり、地元の旗だったり、あるいは、
教会のオリジナルの旗だったりなのだそうですが、聖書の中に、旗を振りながら歌いなさい
という言葉があるそうで、そうしているのだということでした。
まるで、サッカーや野球の応援のように、讃美歌にあわせて振られていた旗が、
今でも忘れられませんね。
旗と言って私が直ぐに思い出すのは運動会ですね。当時学校全体で4チームに分かれて、有名武将の名前で戦うのですが、まさに現代版の国とり合戦で旗に「風林火山」や「毘沙門天」・「唯我独尊」など書かれている旗を思いっきり応援している姿はとても印象に残っています。私も3年の時に大旗を持ちことがありましたが、とても重たくて振るのが精一杯でした。ですので、この間もサッカーの応援で旗を持ったらあの当時の記憶を思い出して思いっきり息子と応援しました。
今から十数年まえ、私達の結婚式の時に
主人の友人達が作ってくれた旗は、印象に残っていますね〜。
結婚式が終わって、私達は新婚旅行に行くため
自家用車に乗って、成田に向かうんですが・・・
車を見たらビックリのど派手な車に変わっていました。
いつの間に、こんないたずらをしたの!!
皆さんも見たことあると思いますが
空カンを後ろにつけて、カランカランていうのが付いていたり・・
中でも一番目立つのが旗でした。
私と主人の似顔絵つきの旗で、
道路を走るとみんなが振り向くような
ど派手でな旗でした〜。
派手な演出したいって時に、旗って効果的なんですよね。
俺は昔、長距離ランナーだった事がある。ただ、本格的な陸上選手ってわけじゃなくて、以前勤めていた会社で定期的に長距離を走るってのに参加していて、大会なんかにも出場した。
長距離って不思議な物で、学生時代は疲れるだけの事だってイメージだったんだが、イザやってみると、記録を伸ばす自分との戦い、大会で上位を目指す人との戦いって感じで、かなり燃えるものがある。
マラソンや駅伝の大会って、沢山のスポンサーが付いてテレビでもよくやるし、やっぱり見ているほうも楽しいんだよな!
しかし、決して楽なものじゃない。息は上がるし足は痛くなるし、何度もめげそうになる。それを励ましてくれるのが沿道の人たちが振っている旗だ!
「頑張れ頑張れ!」の声と共に振られる旗を見て、気合が入ったもんだぜ!
って事で、今でもテレビで旗を振っているのを見ると、勇気をもらえるな。
私が今までの人生の中で最も印象に残ってる旗は中学の頃体育祭用に作った応援旗です。
旗のデザインは一人一人独自に考案し、学級会でどの人のデザインがいいか投票で決めました。
そして結果私の友達のデザインに決まったのです。
友達のデザインに決まったという事で私も旗を描くお手伝いをしました。
下絵は友達が描き、私達は色塗りをしました。
その作業は面白くだんだん旗が出来上がってくるのが楽しかったですね。
そしてオリジナル旗が完成!
体育祭ではこの旗は大活躍しました、沢山の生徒の居てる中で自分のクラスの応援を探すのって一苦労ですが旗を見つけると「みんなが応援してくれてる」という気分にさせてくれます。
世界に一つしかない自分達だけのものを作る楽しみをあの時の「応援旗」は教えてくれました。
中学3年生の時の運動会で、クラスごとに予算が少しずつ分けられて、
それで、クラスのオリジナルのものを作成しなさい…というのがありました。
とりあえず、クラスカラーがあったから、そのカラーのタスキを購入することが決定。
でも、それだけでは予算が余るし、何か物足りない…ということで、担任の先生が、「旗を作ってみたらどうか?」と提案。
そして、旗を作成することも決定。
最初のうちは、「どんなのにするよ?」と面倒がってた子がたくさんいたんだけど、
だんだんとみんな積極的になり始め、どれくらいの大きさだっただろう…、1.5m×2.5mくらいの大きさかな?
その中央にクラス(3-1だったので、3-1)をフェルトで作って貼り、その周りに自分で自分の似顔絵を描くことに決定。
そしてその下に、運動会に向けて一言も。
40人くらいのクラスだったんだけど、出来上がったその旗は、立派とは言いかねるけど、でもとても素敵でした。
その下の一言が、特に素晴らしくて。
「えーー」なんて文句言ってた、ちょっとヤンキーの子も「最後の運動会、楽しむ!」とか書いてあって、
凄く嬉しかったのを覚えています。
担任の先生なんて、泣いてたもんなぁ…
「旗」というと、一番に中学3年生のクラスで作った旗を思い出します。
子供の学校で 旗作りという行事がありました。
旗と言っても 五月の節句にたてられる名旗のような長く大きなものです。
垂旗として県の行事で使われるらしく 各学校へ制作依頼があったようです。
この旗に描くのは 郷土の剣豪「丸目蔵人佐」の姿と 地元の特産である「梨」「メロン」といったものです。
地元の染物の技術をもつ方に協力をいただき 生徒約40名で色付けをしました。
子供たち そして親も参加して描き作り上げた旗は
「なんとも。。。すごい大作を作ったもんだぁ♪」と、みな感動でした。
その旗は 無事 県の行事にも使われ そして その年の運動会でも校舎正面に掲げられ
とてもよい思い出となりました。
私が小学生のときに運動会の時に学級で手作りの旗を作りましたよ。大きな模造紙にみんなで色塗りして模造紙だからやぶけないようにビニールでガードしていました。それを学級ごとに作って、入場行進のときに学級委員がもって入場するんです。そして、もちろん旗のコンテストもします。残念ながら私たちの旗は賞がとれなかったのですが、その旗で応援して見事運動会では優勝しました。作っている時の楽しさもあって面白かったですね。しかも、みんな自信満々で旗ができた時は思っていましたよ。今はそんなことしていないので是非やってもらえたらいいなって思います。
ワタシの高校生の時の思い出になりますが、体育祭では1〜3年の枠を超えたチーム編成となっており、団結力を高めるためにさまざまな工夫が凝らされていました。お揃いのTシャツやハチマキなどのウエアをはじめ、中でも印象的だったのは大きな団旗ですね。
チームのロゴマークもみんなでアイデアを出し合い、決定しましたし、スローガンなんかもあったのですが、手作りの旗にはそれらが盛り込まれて、その年の体育祭のシンボリックな存在となっていましたね。心のよりどころといいましょうか…
でも、その旗は現在は残っていません。というか、体育祭が終わるとすぐになくなってしまうのです。後夜祭で燃やしてしまうのですね〜。それも伝統行事の1つとして行なわれるものなので…。瞬間的に燃えた、青春時代の思い出として、象徴的なものだったなと思います。
私が印象に残った旗というと日本の国旗です。
日本の国旗が印象に残ったというのは変な話なのですが、
私の小学生の時の運動会では、グランドの飾り付けのために
世界中の国旗の小さなものを貼り付けていました。
考えてみれば、自分たちの運動会で世界中の国旗を飾り付ける
こと自体おかしな話なのですが、それよりもその国旗の中に
日本の国旗が無かったのです。それが問題になったのです。
日本の国旗だけが無いのは当然意図的に行われたものだった
ようですが、その事で父兄と教師たちの間でかなり揉めたそうです。
今まで、色んな大会やイベントなどで、たくさんの旗を見る機会がありましたが、
わたしの中に強く残っている旗といえば、「国旗」です。
オリンピックやワールドカップなどもそうですが、
小さな地区での野球の試合などでも、始まりには国旗掲揚があり、
この瞬間はぴりっと背筋が伸び、自分が日本人であることを思い出させてくれます。
そして、日本人の代表であることを自分自身に戒め、
恥ずべき態度を取らないよう、心がけます。
何かとても緊張感を持つ瞬間なんです。
今までで一番心をふるわせる旗、「国旗」です。
学生のころ 学校に 応援団ってのがあって スポーツの応援にきてくれるのですが その応援団の旗がとても印象に残っています。 旗の文字は 学校名が書いてあって 必勝って書いてありました。色は 白地に 黒の文字で。しかも その字がかなり 太字でした。私は 当時 ソフトボールをやっていたので 応援団の方が来るたび その旗をみてきっと 重たいんだろうなって思っていました。
旗の振り方も決められているらしく 風向きを考えて 上下だったり左右だったり その日によって 旗を振っていました。
旗って普段良く目にしますが、私が高校生のとき文化祭でクラスの旗をクラス全員で作成したことがあります。他のクラスよりもより目立たせる旗のデザインに少々苦労しましたが、シンプルかつ大胆にクラスみんなの似顔絵を旗に書いてみたのです。それが結構好評でしたね、もちろん作成はすごく大変でしたけど文化祭でクラスがここまで一致したことがなかったので本当に旗つくりは嬉しい思い出の1つですね。最近見た旗の中では、大学の文化祭で見たキャラクターの旗でしたね、普通の旗なのですがかわいくて結構目立っていたししばらくそのキャラクターの旗を眺めていましたね。
旗といって思い出すのは日本の国旗です。
私が小さい頃、祝日やお正月になると玄関に大きな日本の国旗が掲げてありました。
父がどこかから買ってきたものです。
別に軍国主義というわけでもありませんが、飾ってありました。
今は、そんなものを玄関に飾っている家も見かけなくなりました。
でも、旗という言葉を聞くと父を思い出してしまいます。
最近目に付く旗は、スーパーのバーゲンセールの旗ばかりです。
旗って、それ自体が一言で何かをアピールしている存在感の大きいものです。
これからも旗が、流行る世の中であってほしいです。
さて貴方はどんな旗についての思い出がありますか?
私の思いではやっぱり学校の校旗ですね。
体育祭や何か行事の時に見るあの上等そうなベルベット調の校旗。
なんがか気が引き締まる気がしますよね。
それに金縁のキレイな刺繍。
触りたくなるんですよね。
まぁ、触らせてもらえないですけどね。
あとは体育際のときに応援で使った旗ですね。
思いっきりふって応援しましたね。
応援団もやったのでどこでどう旗を振るかなど相談しながら決めたので余計印象に残ってますね。
旗と聞いてまず頭に浮かんだのが高校時代の体育祭にでてくる応援旗です。
体育祭は各学年ごとに白組、赤組、青組、黄色組と分断させられ4つのこの組で
各応援旗を作って応援をする・・という慣わしがありました。いわば、自作の旗
ですね。
その旗のデザインは非常に個性味があって見ていると楽しかったです。中でも
印象に深く残っている旗は、色紙調になっている旗です。
よく、学校のクラスである生徒が転校する時に「これからもがんばってね」とか色紙に一人一人メッセージを書きますよね?色紙の真ん中に当人の名前や○年○君とか円形の中に書いてそのまわりをメッセージが埋め尽くす・・というアレです。それが大きく旗になっているわけです。
旗にはそれぞれのメッセージが書き込まれていて自分も応援に参加しているんだな・・と
意識します。今でもこの旗は深く脳裏に焼きついています。
最近、旗は広告媒体として広く用いられています。
いろいろな旗があります。大きな旗、カラフルな旗、目立たせようといろいろな工夫をしているようです。
あるとき、車で走っていましたが、同じような旗が道路沿いに並んでいました。
良くみると、不動産業者の旗で、区画整理した土地の販売の旗でした。
幹線道路から、延々と区画整理した土地まで並んだ旗で、私は思わずその旗に引かれて、販売されている区画地まで、車を走らせてしまいました。
区画整理された土地には若干のかわいい家も建設されていました。
旗はやはり目立たないと駄目ですね。
大学時代・・学園祭というものがあって・・
普段元気がない者でも・・この時ばかりはとても元気になるものです・・不思議と。
で、当然のようにバンド演奏があったり、有名人の講演があったりしたわけですが・・
今ではとても懐かしい人になってしまいましたが・・その当時とても人気のあった
シンガーでタレントの諸星あきらという人がおりまして・・
彼が講演に来ると言うので・・とても楽しみにしていたのですが・・
彼を歓迎する気持ちを込めて大きく掲げられた歓迎の旗に笑ったものです。
シンガーといっても・・ラジオなどでのDJもやっておられた人で・・
最高に面白い人だったこともあり・・
有名人を迎えるというのに・・・ちょっと失礼な感じの(ちょっと頭が薄かった^笑)
似顔絵のようなものが描かれた旗が・・異様に人気があって・・
当然、講演も大盛況のうちに終わりました。
本人も、そういうギャグを受け流してくれるキャラの方だったので、問題にはなりませんでした。
私は昔実業団であるスポーツをしていたので旗を見る機会は多かったです。とくに全国大会に出たとき有名選手のチームの旗が印象深いですね〜。個人名が一つ一つ入ってる旗はもちろん、その会社の名前がドーンと載っているものや、他にも個人的に作られた感じのユニークなものなどたくさんありました。旗一つとってもここの独創的なものがあっていいですよね♪学生の頃は試合のたびに母校のクラブ名がはいった旗を試合会場の一番目立つところに飾ってましたけど、どこも競い合いなかんじでおもしろいです。残念なことに写真を残していませんが、今となってはいい思いですね♪
息子は野球をやっていますが、チーム旗がまだありません。
今年 来年こそは 旗と考えています。
去年、色々な試合に参加しましたが、チームの旗があるチームは やっぱ盛大な感じがして 実力はわからなくても イメージで強そうに見えてしまいますよね。
ある小学校の野球チームは 紺色に白地でローマ字もカタカナも使わない 漢字メインの旗
かっこよかった!
赤メインの旗もありましたが やっぱ紺に白は迫力がありました。
息子のチームの旗も頭をひねらせて考えなくては!
上の子が中学に入ってはじめての運動会でびっくりしたのは、
クラス旗というものがあるということ!!
思春期で学校のことは、ほとんど何も言わない子供なので、
当日までクラス旗のことは知りませんでした。
1学年5クラスが1〜3年。
運動会日和の秋の空の下、
全部で15の旗が、
クラスの生徒席の前に立てられ、たなびいていました。
子供のクラスの旗は、黄色が基調のとても目立つものでした。
「1年2組 平田学級」と、
学年クラスと学級担任名をかくのが決まりのようで、
他はクラスそれぞれ自由のようでしたね。
なんと、子供のクラスの旗には、
ビーカーやフラスコなど、理科の実験器具が上手に描かれていました。
学級担任が理科の新任先生で、子供たちと仲良しの様子が
旗からわかりましたね。
旗に、理科の実験器具?と思われると思いますが、
中学生ともなると、美術部の生徒は実に絵が上手で、
素敵な旗でしたよ。
私が小学校の頃、「小旗コンテスト」がありました。
運動会のときに、校庭いっぱいに飾る旗を、生徒全員が一人一人作るものです。
旗の生地が配られるので、母親に旗の形状になるように縫ってもらい、
図工の時間を使って、その旗に思い思いのイラストを描きます。
雨でも大丈夫なように、油性のマジックを使って描くのですが、毎年その図工の時間を楽しみにしていました。
そして各学年毎に、「金賞」「銀賞」「銅賞」が選ばれるのですが、それに選ばれるととっても嬉しくて誇らしい気分になったのを記憶しています。
そして運動会当日、みんなの思いの詰まった小旗たちが空を泳ぎます。
「あっ!あそこに私のがあった!」とみんなで探しながら、その小旗のもとで行われる運動会。
自分の小旗に応援されているような気分で、頑張って走ったのを覚えています。
旗と言われて思い出すのは、学生時代に応援団が持っていた学校の旗です。
特に新入生の時は、応援団の迫力に圧倒され怖いとさえ思っていて、
その応援団が持っている旗が重そうで大変そうで・・・それがとても印象に残っています。
結局持つような機会はありませんでしたが、
旗=応援団というイメージは強く、何故ずっと持っていなければならないのか・・・
どうして地面に付けてはダメなのか・・・色々考えていた事も思い出します。
夏の甲子園などTVで見る時も、あの旗はなんだか懐かしいような気さえします。
中学校のとき、体育祭のときには
かならずクラスでオリジナルの旗を作ってたんですよ。
で、その旗が異常にうまいクラスもあれば
小学生が作ったの?っていうくらい下手なのも・・・。
旗に色ぬったり絵を描いたりするのって何気に難しいし
絵心があまりない人ばかりのクラスってのもたまにあるんですよね。
そんなクラスは悲惨。
その旗をもって応援するわけですから
あるいみ恥ずかしい。
ちなみに、私が3年間として一番うまかったのは
やっぱり3年のときですね。
絵がやたらうまい、色使いのセンスもいいやつがいたんですよ。
その旗をもって応援したときは、すっごいやる気出ましたね!
おかげで、優勝しちゃいましたし
(運動部のやつが多かったってだけかもしれませんが)